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トップ  >  県医会報誌筆硯(県 2005 12)

社会から信頼される医師会を目指して
三原一郎
目指すべき医療制度改革とは



 11月末、2006年秋から順次実施する医療制度改革の手順を示した大綱が決定された。短期的には、診療報酬の引き下げ、高齢者の窓口負担割合の引き上げ ・ 高齢者長期入院患者のホテルコストの自己負担などが、中長期的には、都道府県単位での平均入院日数短縮 ・ 生活習慣病予防政策の実施 ・ 新高齢者医療保険の創設などが予定されている。高齢化が加速するなか、医療費の伸びをいかに抑制するかが課題ではあるが、小手先の数字合わせに終始し、財政難の中でいかに国民の健康を守るかという視点が欠けているように思われる。


 医療費の伸びを抑制しなければ日本は滅びると言われて久しいが、そもそも30兆円といわれている日本の医療費は適正なのであろうか。日本の健康達成度は世界一とWHOも認めているが、一方で、GDPにおける医療費の割合は世界で17位に過ぎない。日本の医療費が増えているというが、これは、社会の高齢化、医療の進歩によるもので、各国の状況をみても押し並べて増加しており自然増といえる。また、医療費の国庫負担割合は、18年間で6%引き下げられ、その分は国民の保険料、地方の負担増および何よりも患者の自己負担増で補填しているのである。さらに、日本の社会保障費は、スエーデンの1/3、ドイツ、イギリスの半分、公的保険未整備のアメリカの2/3に過ぎない。要するに、日本は、低医療費政策にもかかわらず、ある程度の医療の質を維持している世界で唯一の国なのである。そもそも、先進国並みに医療に投資すれば、高齢者に負担増を強いてまで医療費を削減する必要はないのである。


 低医療費政策の中である程度の質を維持できたのは、医療従事者、とくに医師の過重労働によるところが大きい。勤務医の過重労働の実態については、武田先生が本年6月に行ったアンケート調査結果で、「病院勤務医が過重労働に喘ぎながら、何とか医療レベルを落とさないように必死で努力している内情が浮き彫りにされている」と述べられている。また、花笠MLにおいても、悲鳴とも聞こえる深刻な勤務医の実情とともに、医師会に対してその改善努力を求める声が投稿されている。今、国がやるべきことのひとつは、現在の深刻な勤務医の現状を認識し、医師が労働基準法の範囲内で仕事ができるような環境づくりである。そのためには、医師の偏在の解消、病院におけるベッド数、在院日数、外来患者を削減する必要があろうし、在宅医療の充実と医療連携の推進などの施策も欠かせないであろう。また、少ない患者でも経営が成り立つような診療報酬の配慮も必要であろう。本来、医療制度改革とはこのようなものを指すべきである。


 医療は、国民が健康で安心して暮らせるための基本となる社会基盤のひとつであり、その制度は、誰でも、どこでも、平等に、負担額を気にせず、自由に医療機関を選べ、ある程度のレベルが確保された医療を受けることができるのが理想である。そして、その仕組みを運用するには、受難者である患者をいわば受益者である健康な人が支えるという互助の精神が肝要である。日本の皆保険制度は、この理想にかなり近いもので、しかも、世界一の平均寿命を実現してきた実績もある。しかるに、改革の名のもとに進められている医療制度改革は、この理想の医療制度から一歩も二歩も後退させるような内容となっている。新聞などは、医療費削減すなわち医療の後退をあたかも正義のように報じる風潮にあるが、今進められている制度改革は、患者の負担を増し、患者を医療から遠ざけ、よって 国民が求める病気になっても安心して生活できるという権利をもはく奪しかねないものである。小泉首相を中心とする政府、財務省は、日本をどのような国にしたいのであろうか、経済を優先し、社会保障をないがしろにする今の政策は本当に国民のためなのか、経済界や米国の圧力に迎合した結果ではないのか、大いに疑問を感じざるを得ない。


 一方で、国の政策が悪いというだけではなく、このような状況に追い込まれた医療側の問題も考察しておく必要もあるだろう。昭和40年代に日常的に行われていた薬漬け、検査漬けと揶揄される営利を目的とした乱療は、過去のものとはいえ、我々医師の反省材料とすべきであろう。また、研究のため、学問のためといいながらの、コスト意識に欠けた無駄な検査や投薬も大学病院を中心に行われていたのも事実であろう。また、医師会は開業医を主体とした組織であり、開業医の報酬の便宜を諮ってきた圧力団体という側面がある一方で、勤務医の声に対しては余り配慮してこなかったという経緯も指摘できるであろう。このような負の遺産が、国民、マスコミ、そして国に、医者は信用ならん、というイメージを形成してしまったのではないだろうか。本来、国民の側に立つべきマスコミとすれば、今回の患者負担増に偏った医療制度改革案には、当然反対の声が上がってしかるべきであろうが、むしろ、医療費削減を是とし容認している現状は、医療界へのぬぐいきれない不信でしか説明できないように思われる。


 このような現状を踏まえ、日本の医療を守るためには、医師会のイメージを改善する必要があるということで創設されたのが日本医師会広報戦略会議である。私も末席を汚しているが、隔月毎に医師会の広報はどうあるべきかを論じている。委員の間に、医師は高い倫理規範の下で患者のための医療を実践していくのみで、少なくとも医師会活動が会員の利益のためであってはいけない「衣の下に鎧が見えてはいけない」との共通の認識はあるが、一方で、医師会がなぜ利益団体であってはいけないのかという旧態依然とした考え方も根強くあるようである。広報の戦術としてのテクニカルな提案も多数出されているが、それらによる問題解決にはおのずと限界があり、医師会自体の体質改善がなければ、医師会のイメージは変わらないのではないかというのが、私の見解である。


 私は、医師会のイメージを変えるには、医療界(医師会)を社会から信頼される組織へと変革していくしかないのではと考えている。医師会が、本当の意味で患者のため医療政策を提言し、かつそれを実践していく組織へと変革できれば、おのずと国民、マスコミの医療に対する不信を払拭できるはずである。このような見地に立ち、奈良県医師会は日本ではじめて医師の職業規則を作成した。医師はどうあるべきか、ということに関しては、日本医師会が医師の倫理綱領を公表しているが、これをより具体的にした内容となっている。序文として「医療はこの基本的な権利を、可能な限りの手段で擁護することにより、全人類の幸福に深く寄与するものである。医師はこの高邁で公益性のある目的を達成するために、たとえ年齢、経験、立場を異にしても、無私、奉仕の精神のもと、それぞれの持てるすべての能力を提供しなくてはならない。また、良心に従い、つねに研鑚に励み、技術のみならず人間としての力の向上に努める義務を課せられている。また、次代を担うべき者に対する良き模範とならなくてはならない。上記の共通の目的を有する医師が、互いに協力しその崇高な業務を遂行するため、同じ規範のもとに 組織されたものが医師会であり、それに参画する医師は以下に述べられる職業規則を真摯に遵守する義務を負う。」と、医師としての本分が述べられている。鶴岡地区医師会でも、現在、奈良県医師会の職業規則をたたき台に当地区医師会独自の職業規則を作成中であるが、このような医師としての理念を共有することが、信頼される医師会への第一歩になるのではと考えている。そして国民 ・ 住民の信頼の元、医師会がそれぞれ(国、県、郡市区)の立場で、国民 ・ 住民と共に目指すべき本来の「医療制度改革」の実現に向けて活動していくべきであろう。